緊急入院して10日後で亡くなった父 落ち着かない日々
お正月を実家で家族全員で過ごした日々
がほんとに楽しかった思い出になって
しまった。
3連休の最終日
父が転倒して緊急入院したとの電話が
あった。
母は、通院しながら父との面会に行き
東京に住む私の携帯電話には、
担当の主治医、リハビリの先生から
検査結果や状況を教えてくださる
電話があった。
「いつ来れますか?」と聞かれた。
仕事の休みをとって、入院した9日目に
病院へ行った。
入院中のこと
病院に着くと、手が拘束されていて
息をするのがとてもしんどい状況
だった。
入院初日、急なことで頭が混乱していて
「はずせ」と言って大変だった話を
母から聞いていたけれど、もうそんな元気は
ない様子で息をするのが苦しそうだった。
記憶がもうろうとしていて、私のことも
わかっていない。
ぼーとテレビの画面を見ていてときより
私を見るけれど、言葉を発しない。
東京から到着した日は、父の顔をみて
実家に戻った。
介護認定
大阪の実家に戻った次の日、役所に行った。
病院の先生から、「介護認定の手続きを
して下さい」と言われていたため
難しい手続きではなかったけれど
申請認定までに2か月くらいは
かかると言われた。
役所の人は、とても親切であれこれと
手続きをすることになった。
ちょうど、父が誕生日を迎えて「後期高齢」
になったタイミングでした。
母と一緒に行った面会が最後の日
午前中に役所に行き、午後に父の病院に
面会に行った。
昨日は、私のことがわからない様子だった
けれど、その日は少しわかっていた様子
だった。
病室に入ると、必死で話そうとしてくる父
でも、息が苦しくてぜーぜーしていて
あぁ・・とか
うぅ・・とかしか聞き取れない。
主治医の先生からは
今の状況、検査の結果、今後のリハビリ
などの話を聞いた。
緊急の病院なので、よくなったら次の病院
移動しないといけないこと
病院は基本自分で探す必要があること
リハビリができる病院がよいこと
先生の話を聞いて「介護」の覚悟をした
母と私
病室で「今後どうするか?」
「病院どこがあるのか?」など
母の心配事を聞きながら話をしていた。
ときより、私らの話をきいていたのか?
父が「あぁ・・」とか話に入ってきた。
私たちの心配事が伝わっていたのかな~?
しだいに興奮し始めた。
ここ最近、何も話せなかったのに
「はなせ~」と言ったのが最後の言葉
母が「わかったわかった。」
「もう少し待ちなさい」
「もう少しでよくなるからな」
とかいつものようになだめて、落ち着いた。
バスの時間があったので、父が落ちついたこと
もあり私たちは帰ることにした。
「また、明日も来るからな。」と私たちが言うと
こっちを向いて拘束されていた手をしっかりと
あげていた。
私たちに手を振ったんだと思う。
それが最後の父との別れとなってしまった。
主治医から携帯に悲しい報告
1時間くらいで自宅に着いた。
ちょうど到着したころ主治医から
電話がかかってきた。
いやな予感・・
「心臓の動きが弱まってきているので
もう一度来てもらえますか?」
私たちは、再度病院へ向かった。
夜間口から病室に行くと、機械が止まって
いて誰もいない病室
電話がかかってきて1時間でこんなことに
なったなんて・・
いろんな後悔と涙が止まらなった。
入院してから苦しいところを見ていた母は
「よくがんばったな」
「楽になったな」
と声をかけて、涙は見せてない。
いつも通りよく寝ている父の姿だった。
けれど、体がどんどん冷たくなっていく。
私たちは、冷たくなっていく体をずっと
触っていた。
「今までありがとう、お父さん」